子役から芸能界で活躍され、また先日には女優の飯豊まりえさんと結婚を発表した高橋一生さん。
お二人が共演していたのが、『岸部露伴は動かない』という作品で、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのスピンオフ作品であるため、『ジョジョ婚』とも話題になっていました。
しかしながら高橋さんは複雑な家庭環境で育ち、またお母様は過去に3回離婚していることを番組内で明かし衝撃を与えました。
そこで今回は、高橋一生さんの壮絶な生い立ちや絶縁状態になった母親との関係についてご紹介していきます。
高橋一生の壮絶な生い立ちエピソード!
高橋一生さん pic.twitter.com/oKlkUoHd0c
— イナリにゃんブラック (@kongo_yasya) May 29, 2024
高橋一生さんは1980年12月9日に、5人兄弟の長男として誕生しました。
お母様は18歳の時に一生さんを出産したとのことですが、実のお父様は早くに亡くなられたそうです。
お母様はその後2度再婚しており、一生さん、次男と3男、4男と5男でお父様が3人違うといった複雑な家庭環境で育っています。
そのためネット上では弟さんがトーク番組に出演した際、あまり顔が似ていないと話題になっていました。
お母様は自由奔放な性格でありつつ、浪費家だったそうです。
好奇心旺盛で様々な事業を立ち上げては、上手くいかなくなると事業をつぶすといったことを繰り返していました。
ペットショップ関連の事業では30匹のチワワが残り、犬の面倒を子供たちが見ていたこともあったそうです。
一生さんの弟で人気バンド「never young beach」のボーカルでもある安部勇磨さんは、
「金回りが良いときは良かったけど、中学校の修学旅行の一週間前に『学費をずっと払えていなかったから、あんた明日から学校には行けない』と言われたことがある」
というエピソードを明かしていました。
また、東京の赤坂で暮らしていたとこともあり裕福な家庭な友達が出来ると、一生さん始めご兄弟たちは、
『家賃が払えないからあの子の親から100万円借りてこい』
などと言われてお金を無心されていたこともあったそうです。
一番下の弟さんとは19ほど歳が離れているとのことですが、幸いにもご兄弟間の仲は良好だったようですね。
しかしながら、お母様は生活面が苦しくても都内で暮らすことに拘っていたとのこと。
その上、お金が足りなくなると勝手に子供たちの私物を売ってしまったそう。
そのような経緯もあり、一生さんも所有していた自動車を売られてしまったことで、限界を迎え「縁を切る」と言って、家を出ていったそうです。
普段の一生さんからは想像できないような生い立ちですよね。
そして、一生さんはそれから10年もの間、お母様と絶縁状態になっていたそうです。
高橋一生と絶縁状態になった母親はその後どうなった?
高橋一生さんは長らくの間、浪費家のお母様と絶縁状態となっていましたが、その後どうなったのでしょうか?
結論をいうと、一生さんのお母様はその後は癌(ガン)の病気で他界されています。
10年ほど経ち、一生さんはご兄弟から「母が病に伏せている」といった連絡を受け取ったものの、すぐには実家に足を運ばなかったと言います。
「顔を合わせると喧嘩になるから、もう少し弱ってから会いに行く」と言うほど、許せない気持ちや会いたくない気持ちが強かったそうです。
2015年の夏に癌が進行しておりいよいよ容体が危ない、といった時期になり漸くお母様と会う決心をし、病院に向かいました。
いつ亡くなってもおかしくないといった状況で、10年ぶりに再会したお母様はやせ衰えていたとのことです。
出演したトーク番組内において、『ごめんね』とお母様に謝られ、一生さんはその謝罪を受け入れ『弟のことは大丈夫だから』とお母様に伝えたと明かしていました。
お母様はその一週間後に亡くなられました。
完全な雪解けとは言えないかもしれませんが、お母様と最期に会えて言葉を交わせ、看取ることができたことで一生さんの中で納得できるものがあったのかもしれませんね。
まとめ
今回は『高橋一生の壮絶な生い立ちエピソード!絶縁状態になった母親との結末は?』について、お送りしてきました。
一生さんが番組等でこうした複雑な家庭環境を話しているため、ファンの間では「今まで苦労してきた分幸せになってほしい」という声が多く上がっていました。
過去にお母様には演技のことを否定されたものの、今は人気実力俳優の一人として活躍されています。
結婚をし、映画『岸部露伴 ルーヴルへ行く』の公開もされたりと公私ともに順調な一生さん。
今後の活躍も応援していきたいですね!