三淵嘉子に子孫は何人いる?年齢や現在はどう暮らしている?

三淵嘉子に子孫は何人いる?

NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルとなった三淵嘉子(みぶち よしこ)さん。

「虎に翼」では、女性が軽視されている時代に、力強く生きていく主人公に感動した方も多いのではないでしょうか?

今回は、このドラマのモデルとなった日本初の女性弁護、三淵嘉子さんの子孫や子供・プロフィールなどをまとめてみました。

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三淵嘉子に子孫は何人いる?

https://twitter.com/8431Yukio/status/1779070691507425327

三淵嘉子さんの子孫について見ていきましょう。

現在分かっている範囲での家系図がこちら▼

三淵嘉子に子孫は何人いる?

三淵さんには、子供が5人いらっしゃいます。ひとりは血のつながった息子の和田芳武(わだ よしたけ)さん

彼は、前夫、和田芳夫(わだ よしお)さんとの子です。

和田芳夫さんは、戦争により召集され、1946年の終戦後、引き揚げの際に長崎で肋膜炎により亡くなっています。

他の4人は、再婚相手の三淵乾太郎(みぶち けんたろう)さんが、病により死別した前妻との間にもうけた子です。

4人の継子(再婚時(1956年)の年齢など)

長女:那珂さん (結婚して家を出ていた)

次女:奈津さん 21歳

三女:麻都さん 18歳

長男:力さん 14歳

以上が現在判明している三淵嘉子さんの子孫となります。

家系図を見てわかる通り、実は三淵嘉子さんと乾太郎さんの間の子供はひとりもいません。

乾太郎さんとの再婚時、嘉子さんは42歳。

同年には東京地裁判事になるほどのキャリアを積んでいたので、はじめから子供をもうけるつもりはなかったのかもしれないですね。

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三淵嘉子の子孫・子供は現在どう暮らしている?

三淵嘉子の子孫・子供は現在どう暮らしている?

三淵嘉子さんの子孫の中で一番情報が残っているのは、実子の和田芳武さんです。

和田芳武さんは、寄生虫研究者として東京大学の伝染病研究所で学び、その後は東京女子医科大学寄生虫学教室で、研究をされていたそうです。

論文を検索してみると、蚊やダニなどの様々な生物に関する研究論文が115件も出てきました。

三淵嘉子の子孫・子供は現在どう暮らしている?
引用:https://cir.nii.ac.jp/

実母の嘉子さんに引けを取らず、研究熱心であったことがうかがえますね。

ただ、残念ながら和田芳武さんはすでに亡くなられています。

正確な時期は明言されていませんが、2020年から2021年あたりだと言われています。

また、結婚歴や子供がいる、という情報は今のところ発見できませんでした。

他の4人の子供たちも、現在の情報は不明で、長女の那珂さんは亡くなっているようです。

もしもほかの兄弟が2024年時点で存命しているのなら、

2024年時点の年齢

奈津さん:89歳

麻都さん:86歳

力さん:82歳

ということで、かなりご高齢になりますね。

那珂さんは再婚時には結婚して家を出ていたようですし、ほかの子供たちも家庭を築いている可能性は高いでしょう。

おそらく、ひ孫の代までは、現在も血筋が続いているのではないでしょうか?

そしてこの自然に囲まれた邸宅は「三淵邸・甘柑荘」(みぶちてい・かんかんそう)という、別荘です。

現在は三淵乾太郎さんの父である、三淵忠彦(みぶち ただひこ)さんの子孫の方々で、「三淵邸・甘柑荘保存会」という組織を作り、保全活動を行っているとのことです。

「三淵邸・甘柑荘保存会」のメンバーの中に、忠彦さんの子孫である上谷玲子さんという方がいらっしゃいます。

その方によると、嘉子さんは夫の乾太郎さんとともに甘柑荘に来たり、箱根のドライブを楽しんだり、別荘の庭にミカンやキンカンなどの樹を植えたりしていたとのことです。

もしかしたら、嘉子さん方の子孫も、先祖が大切にしていた場所を守るため「三淵邸・甘柑荘保存会」のメンバーとして活動しているかもしれませんね。

ちなみに、夫の三淵乾太郎さんは裁判官、義父である忠彦さんは、初代最高裁判所の長官なのだそうです。

なので、三淵家の才を継いで、司法に関連する職に就いている子孫がいる可能性もあるのではないかと思います。

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三淵嘉子のwikiプロフィール

向かって左側が三淵嘉子さんご本人の写真です。

とても穏やかな表情で、心の優しそうな方ですね。

家庭裁判所の所長だった時は、部下にお菓子をふるまっていたのだとか。

自立したかっこいい女性でありながら、誰からも慕われる方だったそうですよ。

そんな嘉子さんのプロフィールを簡単にまとめてみました。

三淵嘉子さんプロフィール

生年月日:1914年11月13日

没年月日:1984年5月28日

職業:弁護士、判事、家庭裁判所長

略歴:台湾銀行勤務の武藤貞雄とノブの長女としてシンガポールに生まれる。

明治大学法学部卒業後、1940年に初の女性弁護士となる。

1947年、裁判官に転身し、最高裁判所や地方裁判所で活躍。

1956年に再婚し、三淵姓となる。

1972年に初の女性家庭裁判所長に任命。

1984年に骨肉腫により死去、没年69歳。

家族:父・武藤貞雄、母・ノブ

夫:和田芳夫(戦病死)

再婚相手:三淵乾太郎

兄弟:武藤一郎、武藤輝彦、武藤晟造、武藤泰夫

著名な業績:日本初の女性弁護士となり、裁判官としても活躍。

原爆裁判で国際法違反と判決を下す。

日本の司法界において女性の地位向上に尽力。

簡単なまとめにはなりますが、これだけでも三淵さんがどれだけ偉大な功績を残した方なのかがよくわかりますね。

けれど、輝かしい功績の裏には、戦争経験夫との死別女性蔑視などの困難もあったようです。

それらを乗り越え、あきらめずに生きてきたからこその功績なのだろう、と感じました。

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まとめ

三淵嘉子さんの子孫や子供・プロフィールなどをまとめてみました。

5人の子供の情報はみつかったものの、孫以降の子孫の存在は確認できませんでした。

ですが、現在も三淵家の家系は続いており甘柑荘を守るために活動していることは確かです。

甘柑荘には、三淵嘉子さんが生きた証や、幸せに過ごしていた名残が、色濃く残っているのかもしれませんね。

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