「はい〜」の挨拶でおなじみのお笑い芸人・やすこさん。
現役予備自衛官としても知られており、そのほんわかしたキャラクターが人気ですよね!
笑顔が印象的なやすこさんですが、実は生い立ちはかなり苦労していたのだとか。
そこで今回は、やすこさんの生い立ちについてまとめてみました。
やすこの壮絶な生い立ちまとめ!

明るく優しいキャラクターが人気のやすこさん。
その反面、幼少期は壮絶な生い立ちを送ってきたといいます。
一体、どんな生い立ちを送っていたのか順に見ていきましょう。
母子家庭で飢えを感じるほど極貧だった
やすこさんは2歳のときに、両親が離婚し母親に引き取られました。
母子家庭で育ち、やすこさんと妹さんの3人で暮らしていたそうです。
母親はシングルマザーであったため昼夜問わず仕事をしていたものの、とても貧しいご家庭でした。
その暮らしはやすこさんが飢えを感じるほどだったようで、子供時代のエピソードを以下のように語っていました。
- 50円のパンの耳でお腹を膨らませていた
- 給食の残りを家に持ち帰り妹とともに空腹を満たしていた
- 給食のない夏休みは地獄だった
- こども食堂にもお世話になっていた
- 洗濯機がなかったためシャンプーで体操服を洗っていた
- 家賃も部費も払えない家庭だった
生きるために必死だったようですが、一方で友達に貧しいことを知られたくなかったため周囲には明るく振る舞っていたそう。
そして、中学生になるとやすこさんは自ら養護施設に向かったようです。
この理由については後述します。
高校時代はいじめに合っていた
やすこさんは児童養護施設から高校へと通っていましたが、学校では3年間いじめに合っていました。
というのもやすこさんのひょんな発言からクラスで人気の女子から反感を買ってしまい、無視やいじめに合ってしまったそうです。
学校で居場所もなかったため、トイレでお昼ご飯を取っていたりしていたそう。
さらに、担任の先生がやすこさんが児童養護施設にいることをバラしてしまったがためにさらにいじめは加速し、保健室や図書館などで過ごすほかなかったようです。
しかし、やすこさんはいじめにもめげずになんとか高校時代を乗り切ったようです。
高校卒業後は、衣食住を求め自衛隊を目指すことになり陸上自衛隊に入隊。
約2年間勤務した後に、東京で清掃員や用務員として働いた後、自衛官時代の友人から誘われてお笑いへの道へ進むことになりました。
やすこが自ら養護施設に入ったのはなぜ?

やすこさんが自ら養護施設に入った理由は、金銭的な問題だったそうです。
母は悪くないとしながらも、生活が苦しかったため養護施設に入らざるを得なかったようです。
「ずっと母子家庭だったんですけど、母親とは金銭的な面で…母親は悪くないんですけど、養護施設に入ることになって。22歳ぐらいまでは正直、疎遠でしたね」
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/51a3e1c18a54efe8989a0eeaa0c2dbf1c53e38d5
そしてやすこさんは中学の時に窮地に陥り自ら児童養護施設に行き、16歳から18歳までの間、施設から学校へ通われていたそう。
この児童養護施設に通っていたのは母親には内緒だったようです。
母親とは16歳から22歳くらいまで疎遠だったようで、やすこさんが自衛隊になってその後芸人に転身してからようやく会うようになりました。
かなり複雑な家庭環境だったようですね。

一方で、今では母親とやすこさんの仲は改善されているようで、妹共々仲がいいのだとか!
シングルマザーで育ててくれた母親に感謝しているようで、実際に幼少期は貧乏だったもののとても楽しかったとも語っていました。
母子家庭という環境でとても苦しかったようですが、今ではその過去も乗り越えているようです。
また、このような過去があるため35歳までにこども食堂を作りたいという夢もあるそう。
2024年で26歳になるやすこさんですが、今後の活動も応援していきたいですね!
まとめ
今回は、やすこの壮絶な生い立ちまとめ!自ら養護施設に入ったのはなぜ?というテーマでご紹介していきました。
やすこさんは2歳のときに両親が離婚したことで極貧の母子家庭で育ちました。
飢えを感じるほど生活は苦労したようで、中学時代には自ら養護施設に保護を求めました。
高校時代は3年間いじめにあうなど、大変な生い立ちだったようです。
このような過酷な生い立ちだったやすこさんですが、変に捻くれず優しい人柄なのはとても素敵ですよね。
今後のご活躍も応援していきたいところです!